出産後の女性に本当に必要なのは、完璧な育児でも、気力だけの頑張りでもありません。「泣いて、笑って、少しサボって、それでいい」。そう語るのは、多くの母子に寄り添ってきた専門家であり、自身も母として出産・育児を経験した福島富士子さん。
助産師として赤ちゃんの誕生に幾度も立ち会い、のちに母子保健・制度づくりへと進んだ福島さんは、「産後期」は女性が生き直すきっかけにもなる大切な時間だと言います。産後の回復、暮らしの立て直し、そして自分を取り戻すこと——その本質を伺いました。
福島 富士子(ふくしま ふじこ)さん

助産師として臨床経験を積んだ後、国立保健医療科学院を経て、
東邦大学看護学部教授・同学部長に就任。
世田谷区・和光市など自治体の産後ケア制度設計に携わる。
現在は行政・医療・地域・民間の連携を通じて「産後ケアを社会のインフラに」を掲げ、
地域で安心して支え合える仕組みづくりを推進している。
「出産後、家に帰ってからが一番つらい」というママの声が出発点
——産後ケアの必要性を意識されたのは、どんな経験からでしたか?
まだ私が助産師として現場にいた頃、出産後のお母さんから「家に帰ってからが一番つらい」という声をよく聞きました。入院中は助産師や看護師に囲まれているけれど、退院した瞬間から支えてくれる人がいなくなる。心も体も回復していないまま家に戻り、誰にも頼れないというのは相当に不安ですよね。
当時はまだ「産後ケア」という言葉も一般的ではありませんでしたが、助産院は自然とそうした役割を担っていました。「ちゃんと食べた?」「しっかり眠れてる?」「もっと温かくしてね」と、実家にいるかのように気にかけてもらえる。そんな場所を社会の仕組みとしてもっと広めていきたいと強く思いましたね。
——そこから研究や制度づくりへと歩みを進めたのですね。
はい。1990年代に国立保健医療科学院に入りました。当時は高齢者施策が中心で、母子保健はまだ十分に扱われていませんでした。でも、地域には助産院の文化があって、助産師たちが母子の暮らしを支えていたんです。その価値を、もっと多くの家庭に届けたいと思い続けていました。

——助産師さんは、産後にどんな役割を果たしておられるのでしょう?
助産師の仕事は医療だけではなく、暮らしそのものを支えるという役割も大きいんですよね。
産後の女性はホルモンのバランスが大きく崩れますし、自律神経も不安定。でも、実はその前からすでに心身が悲鳴をあげている女性が多いと思います。そんな中で「立ち止まる時間」を確保できるのが妊娠〜産後の時期。本当はゆっくりすべきなのに、「早く戻らなきゃ」と焦ってしまいませんか? そうではなくて、赤ちゃんとしっかり向き合う、自身の身体もいたわってあげる、という時間を持っていただきたいんです。
そのために必要なのは、助産師をはじめとする専門家が暮らしを支える仕組みを整えること。必要なサポートさえ受けられれば、誰もが自分と赤ちゃんのための時間を確保できるのではないでしょうか。
「産後ケア」という言葉では足りないくらい重要な「産後期」
——「産後ケア」という言葉だけでは表現しきれないくらい、重要な時期なんですね。
そうなんです。産後ケアで目指すのは、生活・食・眠り・人との関わりといった暮らしそのものに根ざした回復です。
産後というと「限られた期間」をイメージしますが、本来はもっと前からできることがあるし、産んだ直後だけでなく長いスパンで考える必要があります。そして「ケアを受ける」という単純なことだけでもないんですよね。産後というよりも、産後期。この期間をどう過ごすかで、その女性や家族の人生さえも変えていけるくらい大切だと感じています。
だからこそ、自分を見つめ直す時期としても、きちんと過ごせる体制を作ってあげたいんです。親身な声かけ、おいしいごはん、静かに熟睡できる時間。そうした日々が、自分を取り戻すチャンスをくれると思います。
——「自分を取り戻す」とは、どんなことなのでしょう?
働く女性は、普段から仕事や効率を優先して、体や心を後回しにしてしまいがちですよね。私は、妊娠・出産・産後の期間こそ、 「もう一度、自分の心身を取り戻すための時間」にあててほしいと思っています。赤ちゃんが生まれる前の生活リズムや働き方の延長線ではなく、いったん立ち止まって、自分を見つめ直し、立て直していただきたいんです。
働き続けていると、そんな時間を確保することさえ難しいでしょう? 産後期こそ、自分を取り戻すチャンス。どう過ごすかで、その後の人生が変わることだってあると思いますよ。
親身に声をかけ、サポートしてくれる「助産師」の存在
——産後に孤立するママが多い中、「切れ目ない支援」はどうしたら実現できるのでしょう?
本来、助産院は妊娠がわかった瞬間から相談できる場所で、産後も自然に関わりが続く文化を持っています。切れ目のない支援って、実は助産院では当たり前のように受けられることなんですよね。
助産院の文化を社会の仕組みに取り戻したい、助産院のいいところを生かした産後ケアが受けられる機会を全国でもっと増やしたいと願って、日々動いています。
——「助産院のいいところ」とは、どんな点ですか?
助産院は、育児だけでなく、「生活そのもの」を体験できる場所です。何を食べたらいいのか、どう休み、どんなふうに人と関わったらいいのか。そんな暮らしのリズムを見つめ直す環境が整っています。
若い世代だと、育児以前に、そもそも生活の経験が十分でないまま親になる方も多いと思います。助産師は自分の経験や知識を総動員しながら、あれこれ気にかけてお世話を焼きますので、「うっとおしいおばちゃんがいる!」と思う方もいるかもしれません(笑)。でもね、そうやって関わってもらう中で、自分への愛着や人への信頼が修復されていくこともあるんです。
「あ、人生で大事なのはこういうことか」とスイッチが入る瞬間。そういう時間を持つのって、大事じゃないですか?
安心できる居場所を確保して、「産後ケア」を社会のインフラに
——先生の娘さんも、出産をきっかけに大きく変化されたとか。
はい。娘は外資系企業で必死に働いて、たとえ評価されても体はボロボロだったと思います。その後、日本企業に転職しましたが、「私、お母さんの子じゃなかったら結婚も出産もしてないと思う」と言うほど、完全に仕事優先でした。
でも、今やふたりの子どもの母になり、「人ってこんなに変わるんだ!」というほど変わりましたよ。
——どんな変化があったのでしょう?
産後、私がそばで助産師の役割を果たしつつサポートしていたので、赤ちゃんへの愛情を実感しながら、泣いたり、休んだりする時間を持てたんですよね。それが暮らしを立て直すきっかけになったんだと思います。今では3人目も考えているくらいですから。
産後のお母さんに必要なのは、赤ちゃんと自分自身に集中できるような、安心感に包まれた時間・空間を確保すること。ひとりでは難しいので、それをサポートする場所や人材が社会にもっと必要なんです。

——誰もが安心できる産後ケアを受けられるためには、何が必要なのでしょうか?
建物や設備といったハードも重要ですが、私が大切にしたいのはソフト面、つまり人との関わりです。どれだけ豪華な施設でも、心が通わなければ意味がありませんから。
そして、当事者であるお母さんたちにも、産後ケアは贅沢なんかじゃなくて、すべての母親の権利なんだよ、と伝えたいです。優しさに格差があってはいけないでしょう? 経済状況や環境に関わらず、誰もが優しさに包まれて、 気兼ねなく支えを受けられる社会にしなければいけないと思っています。
——最後に、読者へのメッセージをお願いします。
お母さんへ。
ちゃんとしなくていいんです。泣いて、笑って、少しサボって、それでいいんです。
お父さんへ。
頑張るより、寄り添うことがいちばんの力です。
祖父母の皆さんへ。
少し手を貸すだけで、家族が笑顔になります。
——ありがとうございます。助産院での出産を選択をされる方だけでなく、「出産は病院だったけど産後に助産師のサポートをしっかり受けたい」という方も、すべての産後ママが優しく温かい支えを当たり前のように受けられるよう、これからも各方面の連携を深めていけたらいいですね。


